ひとりっ子の私の20代は、とにかく自由と享楽の日々でした。
友人も先輩も好きになる芸能人も、気がついたら周りには独身主義の人ばかりを置き、「自由最高!」という確証バイアスを自ら高めるように仕向けていた時代でした。
30代になり、32、33歳を過ぎた頃から周りの様子が変わってきました。
お見合いも来なくなり、結婚をうるさく迫る親戚も近づいて来なくなりました。
ずっと母娘2人で生きてきた母だけは、常に私に早く結婚しろ孫を見せろと迫っていて、それもずっと私に反発する意識を生じさせていました。
仕事や趣味で忙しくしていましたが、それが少し途切れたタイミングで、ふと自ら結婚相談所に入ったのは35歳の時でした。
「子供が大好きな母に、このままでは本当に孫を抱かせて上げられなくなる…いやそれ以上に、私は1人で生きていき、ゆくゆくは孤独死と言うことになる」とある日突然思い至ったからです。
金銭的には余裕があったので、始めはグレードの高めな大手の結婚相談所に入会しましたが、地方住みと言うことでなかなかマッチングが難しく、そこで無駄な数年を費やしてしまいました。
地元密着の小さな結婚相談所に入会し直したのは37の時でした。
女性のアドバイザーさんが1人でやっているところで、書類を持って初めて事務所に伺った時の事を今でもよく覚えています。
「目をつぶって針に糸を通すほど難しいけど頑張りましょう」
初めは意味がよくわかりませんでした。
父と母は同い年。時代は男女平等の時流で、周りの結婚も年齢という一つの条件を取り上げることがいかに意味のないことかと思うほど多種多様。
芸能人の結婚なんて姉さん女房が普通にゴロゴロいるし、年の差なんて20、30当たり前のガッタガタだとそれまでは思っていました。
人生において女性の結婚の年齢にフォーカスしたことがなかったのです。
高齢出産という呼び方は出産年齢が35歳からと言うこともその時初めて知りました。
母は昔から孫を見せろと言う割には、そういうデータなどを用いて私に迫ることはしてきませんでした。
奥ゆかしかったというより、科学的にぼんやり生きていた「最後は気持ち」の人だったのだと思います。
とにかくそれからは、アドバイザーさんのいうがままに、時間もお金も一点集中するつもりで婚活に頑張りました。
まず37歳という年齢だけで申し込みはほとんどなく、こちらが申し込みする側か、アドバイザーさんがマッチングでお膳立てしてくれるかの二択です。
地方にいたままではなかなか難しいので、JRで数時間かけて都会まで何度も出ていき、お見合いパーティなどに参加しました。
私がようやく結婚に行き着いたのは2年後の39歳、あと1ヶ月で40歳という時でした。
こんな心が子供のままに40歳になってしまっていた私でもいいという人が、やっと登場しました。
それまでにたくさん打ちのめされて、自尊心なんて吹き飛んでしまって、卑屈の塊になってしまったけど、いいのです。
子供はもう諦めたけど、それでもいいのです。
大切な人とこうして出会えて、母がなくなる前にちゃんと私を守ってくれる人を紹介できたことが、今は何よりもありがたいことだと感じています。
中居 賢匠
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